マリア・ヨゼフ・コルベ山野静二郎さんは、二十年という長い年月、死刑囚として大阪拘置所で過ごしています。
私がこの方を知ったのは「聖母の騎士」誌でした。毎月、「極限の命を生きる」という日記を綴った。形で、刑務所内の生活(全く人権を無視したひどいのに驚く)や時折訪れる奥さんや二人の息子と娘さん。教誨師のM神父さんとの面会時の喜びの様子、そして自分自身の魂の底からほとばしる苦悩の姿が赤裸々に記されています。
・・・・・山野さんの悩み、苦しみは大きく、如何に自分の身を守るためとは言え、二人の人を殺めてしまったことでは謝罪し、償いをしてきました。二十年もの長い間拘禁もされています。若し正当な裁判で、死刑でしか罪を贖うことが出来ないというのであれば、それは甘んじて受けます。いたずらに死を恐れているのではありません。唯やってもいない強盗の汚名だけは、決して認めるわけにはいかないとのこと。
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文中から受ける山野さんの人柄は、信念を貫く人、不法に対しては筋を通そうとし、刑務所内でのおかしいこと(特に人権無視や非人道的なこと)には抗議し、種々の待遇改善に貢献し、所内での信頼も厚く、今では、心ある職員たちからは「再審ガンバッテヤ!」と肩をたたかれることもあるそうです。
又、奥さんを始め家族、親族、それを支えている友人達や、全国にいる多くの支援者たちとの交流も信頼と愛に結ばれていることがうかがわれます。更に受洗後は、神さまと向き合う中で信仰を深め「キリスト者としてどうあるべきなのか」に苦悩しつつも、今日生かされていることに感謝し、自暴自棄にも陥らず、過酷な獄中生活に耐えていられるようです。・・・・どうぞ一人でも多くの方々に山野さんと家族の必死の叫びが届きますように、正義と愛の心で祈りと行動を切にお願いいたします。
(この文章は支援者の一人秋田妙子さんが2002年秋に秋田さんの所属教会であります青森県の浪打教会の教会報へ寄稿された文章の一部です。秋田さんのご好意により再録させていただきました)
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私の事件で亡くなった2名の方々は私の会社の取引関係者で、そのご家族と私は交流がありました。
事件後、私は『防衛事件』だということをご遺族には主張せず、私の手によって亡くなってしまったことを、ただ一心にお詫びしました。何度も何度もお詫びしました。そして私の妻と、僧侶の支援者と二人で、遺族宅に私の代理で出向き、謝罪し、仏さまを拝むことを許していただけました。私は死刑が確定して手紙を出せなくなるまでの15年間、毎年ご命日に謝罪文と供花料を送り届けさせていただき、受け取ってもらっています。また妻はお彼岸(年2回)とお盆には四天王寺においてお二人の回向供養を私の代理で毎年欠かさず、22年間挙行させていただいております。
ご遺族から妻に「山野さんは魔が差したのでしょう。奥さまとお子達のご苦労は大変だと思いますが、しっかり頑張って下さい。」というお言葉をいただいています。
私は防衛上とは申せども、二人の方を死なしめたことを心より深く反省し、その悔いは計り知れず、毎日お二人の霊に向けてお詫びの祈りを1日も欠かしておりません。また、その罪は償うべきだと自覚しております。死刑になって私が死ねば、それらも全てできなくなります。
また私の事件は死刑相当の事案ではありませんので、私は真実と事実を明らかにする責任と義務があると信じます故、これまで裁判を行ってきたものですが、残念ながら誤判とされてしまいましたので、再審請求をいたさざるをえないのであります。
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私はもう65才となり、仮に再審が開かれて長い裁判を行ってから減刑となりましても獄死する可能性が高いでしょうし、私自身の信仰上、死ぬことを怖れてもいないし、命が惜しいのでもありません。
しかし、私を信じ、私を必死で支えて下さっている多くの人々を裏切ることはできません。だからなんとしても再審を開いてもらって、真実を明らかにする。それが皆さんへの私の誠意であり、恩返しであると心得ているのです。また社会正義のためでもあります。
支援会が組織化されて、大きくなることは大変ありがたく、嬉しく感謝で一杯です。しかし、それに伴って私自身の魂が成長・向上できなければ砂上の城に等しいと思いますので、従来以上に謙虚にし、エネルギーを浄化して誠実にならねばと思っています。
私は多くの人達に支えていただきまして、ものすごく幸せです。全ての人々に満腔の感謝を捧げております。
社会に戻って皆さまに恩返しをしなければ、私の義、人間としての分が立たないナーって。
絶対に還ります!命をかけて(もうかかっていますが)再審開始を勝ち取ります!
再審を開くことは困難ではありますが、決して諦めないで希望を持ち全力を尽くして参る決意を強くしております。
事実誤認で不当な刑を被った者の代表として一石を投じたいと思っています。
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